祖父の想い出と、第一好茶・文山包種茶(清茶)①

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 私にとって文山地区は、子供の頃の想い出がたくさん詰まったなつかしい故郷です。
 毎年清明節の頃になると、祖父が昔住んでいた古い家に、お墓参りに出かけたものでした。それは100年以上も昔、清の時代に建てられた古い木造建築で、大家族で住む中国式の伝統的な“四合院(日字型)”造りの家でした。
 若き日の祖父や祖母が住んでいた部屋の前庭には一本の大きな木がありました。名前はわからないけれど、天まで届くほど大きいという記憶がしっかり残っています。窓をあけると、春蘭や野生のジンジャーの花の香りが漂ってきます。鼻から肺にスーッと入り、気持ちが一気にリラックスしたのをよく覚えています。
 この忘れがたい香りとともに、休みの日に茶畑と茶工場で上半身裸の製茶職人たちとともに過ごしたこともとてもよく記憶に残っています。これらの日々は、高校時代まで続きました。
 
 そんな子供時代のある夏休みの何気ない一場面で、ずっと心に残っているものがありました。想い出の古い家を訪れたとき、祖父がぼろぼろになった竹製のザルを触りながら、何か古い記憶を思い出すかのような笑顔を浮かべたのです。
 ぼろぼろのザルに何の想い出が…?不思議に思いましたが、ずっと謎のままでした。

 3年前、中国茶インストラクター養成コースの生徒さんたちと一緒に台湾にお茶作りに行ったとき、今は亡き祖父のあのときの笑顔の理由がわかったような気がしました。茶を作っているときのその香りは、あの日窓の外から漂ってきた春蘭や野生のジンジャーの花のあの香りだったのです。

 祖父はザルをみて笑ったのではなく、窓の外から漂ってきた芳しい花の香りをかいで、子供の頃にお茶作りを手伝ったたくさんの記憶を想い出し、顔をほころばせたのでしょう。
 またその香りは、美味しいお茶が出来上がったときの香りと一緒でした。私も美味しいお茶が作れたんだ!そんな喜びと満足感から、思わず顔をほころばせてしまいました。
 
 “茶米阿公”と呼ばれた祖父は、若い頃から、文山包種茶(清茶)の製造技術コンテストで、何度も賞を受賞しました。合理的な価格で茶葉を販売する姿勢は今でも私の頭に鮮明に焼きついています。お茶を愛して一生を捧げた祖父のためにも、台湾茶老舗の看板を守り続けるためにも、私ももっともっと頑張らなくてはいけません。

 今でも、坪林や石碇などの茶畑を訪れると、お茶の品質には頑固でも、人に対しては優しかった祖父の想い出話をしばしば聞かされます。華泰茶荘の歴史の半分は、文山包種茶(清茶)一緒に歩んできた道と言ってもいいかもしれません。
 美味しい文山包種茶(清茶)を飲むたびに、あの古い家の前庭の春蘭や野生のジンジャーの花の天然の香りと、飲んだ後の長い余韻と香りと甘さがふわりとこみ上げてくるような後味、子供の頃祖父と一緒に楽しく過ごした夏休みの光景を思い出します。

 文山包種茶(清茶)は、現在流行している清香型烏龍茶に比べ、えぐみや青臭さが一切ありません。主張こそしないものの、自然のままの本物の美味しさを感じられるのが、文山包種茶(清茶)の魅力でしょう。

 10年前、日本に店をオープンしたばかりの頃は、日本のお客様はほとんど文山包種茶(清茶)を知りませんでした。文山包種茶の講習会やイベントなどで試飲を重ねるうち、だんだんファンが増えていき、今では“茶通のお茶”として、たくさんの方々に知っていただくことが出来ました。

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                                  五代目店主 林 聖泰

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