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孰知茶道全爾真,唯有丹丘得如此。

お茶は“醒めて世界を澄ます一杯”

目次

皎然「飲茶歌誚崔石使君」をめぐって

 唐代の僧・皎然(こうねん)は、陸羽『茶経』と同時代に茶を詠み、のちの文人茶の理念に火を点けた詩人です。州刺史の崔石(さいせき)に贈った「飲茶歌誚崔石使君」は、結句に向けて茶の本質を鮮やかに描き出します。ここでは終盤の八句を軸に、その意味と現代への示唆を読み解きます。

〈原詩・抜粋〉
此物清高世莫知,世人飲酒多自欺。
愁看畢卓甕間夜,笑向陶潛籬下時。
崔侯啜之意不已,狂歌一曲驚人耳。
孰知茶道全爾真,唯有丹丘得如此。

 最初の二句は、茶を「清高(澄んで高潔)」なものと定義しつつ、世の多くがまだ十分に理解していない現実を指摘します。対置されるのは「飲酒」。酒の快楽を全否定するのではなく、「自欺(じぎ)=自己を紛らわす」危うさを、僧侶の眼差しでやわらかく諫めます。

 次の二句が巧みです。晋の大酒豪・畢卓(ひつたく)の「甕のそばで夜を明かす豪飲」と、陶潜(陶淵明)の「籬のほとりでの閑雅な酔い」という、酒の二極を並置。豪放も閑適も魅力的だが、いずれも“真”から半歩ずれる、と示して茶の位置を浮き彫りにします。茶は気分を酔わせるのではなく、感覚を澄ませる飲み物——ここに皎然のスタンスが明確に立ちます。

 五・六句では視点が場面へと降り、崔石が茶を啜ると興が尽きず、一曲の即興(狂歌)が座に生命感を呼び込む様子が描かれます。茶がもたらすのは“鎮静”だけではない。澄明ゆえの活気です。覚醒と潤いが同時に立ち上がる瞬間を、皎然は生き生きと捉えます。

 そして結句。「誰が知ろう、茶の道はあなたの“真”をまるごと表していることを。——ただ丹丘のごとき人だけが、こう在れるのだ」。ここでの丹丘は本来「仙人の住む丘」ですが、この文脈では仙人のような人という比喩が自然です。場所(仙境)ではなく、人格の清澄さ・自由さを称える語。皎然は、茶の実践が人の本性(真)と響き合い、品性としての高さを開示する営みである、とまとめます。

この終盤部の運びは見事です。

  1. 批評 → (清高/自欺)
  2. 典故の対比 → (畢卓/陶潜)
  3. 現場の躍動 → (啜る・狂歌)
  4. 哲学的帰結 → (茶道=真)
  5. 象徴的称揚 → (丹丘)。
    論理と詩情が螺旋を描くように上昇し、読む者の胸に“澄んだ興”を残します。

今日の一碗に活かすヒント

  • 丹丘=仙人
    「丹丘」は本来“仙人の住む丘”の意ですが、詩文では〈仙人(のような人)〉を指す比喩として用いられます。本句は、崔石の気韻を仙人的境地に準えて最高度に称える表現です。
  • 「茶道」の早期用例: 「孰知茶道全爾真」は、唐代に茶を〈道〉として語る最古級の明確な言及として注目される一行。作法名ではなく、茶の実践が人格の〈真〉と響き合う境地を指す。のちの文人茶・茶藝思想の基盤を先取りしています。

 茶は、現実逃避の道具ではなく、現実を“鮮明にする”文化です。皎然が見たのは、飲み手の心身と場を同時に整え、清澄さと生命感を呼び込む一杯。

 その哲学は、忙しい現代の日常にこそ効きます。

 今夜は、視覚・香り・温度・間(ま)をほんの少し整え、醒めて世界を澄ます一碗をどうぞ。

(NPO中国茶文化協会 理事長/林華泰茶行・日本華泰茶荘 五代目店主 林聖泰)


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