三十年の茶縁を温める、灯りと静寂の午後
今回の台湾中元帰省旅行で、どうしても訪ねておきたかった場所がありました。
九份です。
しかもこの日は、台風が台湾へ近づいている前夜。
空は朝から重く、九份へ近づくにつれて雨脚はどんどん強くなっていきました。
「こんな日に九份へ行くの?」と思われるかもしれません。
ところが、九份という町は不思議なところです。
晴れた日の九份には晴れた日の美しさがありますが、
雨の日には、またまったく違う顔を見せてくれる。
山肌を覆う濃い緑。
霧の向こうにぼんやり浮かぶ家々。
濡れた屋根。
夕暮れとともに一つ、また一つと灯り始める窓。
むしろ「雨こそ九份らしい」と感じるほどでした。
■三十年近く続く、茶の友との再会
今回の目的は観光だけではありません。
九份で長年茶館を営んでいる洪さんに会うことでした。
知り合ってから、もう三十年近くになります。
台湾茶のこと、茶館のこと、商売のこと、そして人生のこと。
若かった頃とは、話す内容もずいぶん変わりました。
昔は、
「どんな茶が面白いか」
「どんな茶器を使うか」
「次はどこへ茶を探しに行くか」
そんな話が多かったように思います。
ところが今では、
「台湾の茶館はこれからどうなるのか」
「若い世代に台湾茶をどう伝えるのか」
「観光地の中で、本当に茶を楽しめる空間をどう残していくのか」
そんな話が自然と中心になってきました。
年齢を重ねるというのは、少し寂しくもあります。
でも一方で、三十年付き合ってきたからこそ話せることもある。
それもまた「以茶会友」なのでしょう。
■気がつけば、昼から夜まで
私たちが腰を落ち着けたのは、九份の中でも海側へ視界が開けた「水心月」。
ここは高台から山と海を見渡すことができ、霧が出れば、まるで建物そのものが雲の中へ浮かんでいるように感じます。
かつて「天空之城」と呼ばれていたというのも、よく分かります。
この日は、窓の外は大雨。
ところが室内では、お湯が沸き、茶器から湯気が立ち上り、
茶の香りがゆっくり広がっていく。
良いお茶を飲みながら、
昔の話をし、
現在の問題を話し、
これからの茶館について考える。
時計を見ることも忘れていました。
昼に始まった話は、そのまま夕方へ。
そして気がつけば夜の七時、八時。
窓の外では九份の灯りが次々と点き始めていました。
雨に霞む山の町に、黄色い灯りが浮かぶ。
外は嵐の前。
しかし不思議なほど、心の中は静かでした。
■茶館とは「お茶を売る店」なのだろうか
洪さんが長年大切にしてきたのは、単に「茶を出す場所」ではありません。
古い家屋を生かし、陶芸や美術作品を取り入れ、九份という土地そのものを感じてもらう。
九份の工房には、さまざまな陶器が並びます。
猫をモチーフにした作品も印象的で、町の風景の中に置かれた姿には、
どこかユーモラスな温かさがあります。
茶館とは何でしょう。
高価な茶を飲む場所でしょうか。
珍しい茶器を使う場所でしょうか。
私は、それだけではないと思っています。
窓の外の景色を眺めながら、少しだけ日常から離れる。
誰かと話す。
あるいは、一人で何もしない。
一杯の茶を間に置いて、時間そのものを楽しむ。
茶館が売っているものは、もしかすると「時間」なのかもしれません。
■観光地・九份のもう一つの顔
もちろん現在の九份老街は、とても賑やかです。
狭い路地を大勢の観光客が歩き、土産物店や飲食店が並びます。
台湾を初めて訪れる旅行者にとっては、それも九份の大切な魅力です。
一方で、観光地ならではの問題もあります。
家賃や運営コストが高くなれば、商品価格も高くならざるを得ません。
茶についても、台北の専門店などと比べれば、観光地価格になっているものは少なくありません。
だからこそ九份では、
「何を買うか」だけではなく、
「どんな時間を過ごすか」を楽しむほうが、
この町の魅力をより深く味わえるように思います。
■雨の日の九份も、悪くない
台湾旅行で九份へ行かれる方へ。
晴天だけを期待しなくても大丈夫です。
雨なら雨で、九份には雨の日だけの表情があります。
傘を一本。
できればカメラも一台。
そして何より、少しゆっくりできる気持ちを持って出かけてみてください。
台北からは、九份方面へ向かう直行バスを利用する方法が便利です。
時間に余裕があれば、台湾鉄道で瑞芳まで行き、そこからバスやタクシーで山を上がるのも、旅らしくて面白いでしょう。
九份へ行ったら、老街を歩くだけで帰らずに、
一軒の茶館に入り、
一杯のお茶を頼み、
一時間、二時間。
何もしない時間を過ごしてみてください。
今回の私は、台風前夜の大雨の中で、三十年来の友人と茶を飲みながら、
そんな「贅沢な時間」を改めて思い出しました。
外は大雨。
けれど、茶館の中には温かな湯気がありました。
そして人と人の間には、三十年経っても消えない茶の香りがありました。
人生如茶。
長く付き合ってこそ、分かる味があります。
(文章・写真:林華泰茶行・日本華泰茶荘 五代目店主 林 聖泰)
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今日、台湾で話したことを、今度は日本の茶席で、
一杯ずつ皆さんと確かめていきたいと思います。

