―― 宋・翁元廣『題臨江茶閣』
茶を淹れていると、ふと手を止めるお客さまに出会います。
慌ただしく入ってこられた方が、
一煎目をひと口含んだとたん、すっと肩の力をほどいていく。
あの瞬間に立ち会うたび、私は宋の詩人・翁元廣が茶閣に題したという一篇を思い出します。
一杯春露暫留客、兩腋清風幾欲仙。
可但喚回槐國夢、不妨更舉趙州禪。
門の外には、土ぼこりの舞う忙しい世界がある。
けれど茶閣にひと足入れば、渓と山が静かに向かいあい、心はのびやかにほどけていく。
そこへ運ばれてくる、春の朝露のように清らかな一杯の茶は、急ぎ足の客をしばし引き留め、口に含めば両の脇から清風が生まれて、いまにも仙人になりそうな心地にさせてくれる――。前半の二句は、そう詠います。
「両腋の清風」は、唐の茶人・盧仝の「七碗茶歌」の名句を踏まえた表現です。
七碗目の茶に、身体が軽くなり、清らかな風に乗って蓬莱の山へ飛んでいきそうだ――。
茶がもたらす心地よさを、これ以上なくみずみずしく描いた一節として、古くから愛されてきました。
後半の二句で、詩の視線はぐっと深まります。
「槐国の夢」とは、木陰でまどろんだ男が夢の中で栄華を極め、覚めればすべて蟻の国の幻だった、という「南柯の夢」の故事。茶は、その夢――名利や栄華のはかなさ――から、人をふと目覚めさせます。
そして「趙州禅」は、訪れる者みなに「喫茶去(まあ、お茶でも召し上がれ)」と答えたという、趙州和尚の禅の言葉。茶を飲むというありふれた日常のなかにこそ、深い気づきが宿る。「茶禅一味」の心です。
こうして見ると、この一杯の茶は、いくつもの顔を持っています。
人を迎え、足を留める茶。
心と身体を軽くする茶。
そして、夢から静かに我へと帰らせてくれる茶。
たった一杯の中に、もてなしと安らぎと、ささやかな省みとが、すべて畳み込まれているのです。
前半の二句は、いまも台湾や中国の茶館で、入口の柱や床の間に好んで掲げられる人気の対句(茶聯)です。
茶席に向かう前、あるいは大切な方をお迎えする日に、この句をそっと思い浮かべてみてください。
「どうぞ一服、召し上がってください」。
その短いひとことに込めるのは、千年を経ても変わらない、もてなしの心です。
一碗の余韻は、口を離れてなお、しばらく続きます。盧仝のうたった清風も、趙州の喫茶去も、どこか遠い茶室の向こうにあるのではなく、いま目の前の、湯気の立つ一杯の中にこそ宿っている。そう思いながら、私は今日もまた、静かに湯を沸かします。
(文章・写真:林華泰茶行・華泰茶荘五代目 店主 林 聖泰)
出典:詩は厲鶚『宋詩紀事』所載「翁元廣・題臨江茶閣」に拠る(七言律詩・全8句のうち中二聯)。「兩腋清風」は盧仝「走筆謝孟諫議寄新茶」(七碗茶歌)、「槐國夢」は唐伝奇「南柯太守伝」、「趙州禪」は「喫茶去」の公案による。
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