今日、稚内から飛行機に乗り、東京へ戻ってきました。
約一週間にわたった北海道の旅も、これで終わりです。
旅には、いろいろな理由があります。
自分自身のために出かける旅。
家族と時間を過ごすための旅。
新しいものに出会う旅。
そして、ときには過去を振り返り、もう一度大切な人の足跡をたどるための旅もあります。
今回、私が礼文島、利尻島、そして稚内を訪ねようと思った大きな理由の一つは、父でした。
父は生前、礼文島を二度訪れています。
利尻や稚内にも足を運び、北海道北部の自然をとても気に入っていました。
父の一周忌を前にして、ふと思ったのです。
「父は、なぜこの場所がそんなに好きだったのだろう。」
写真を見るだけでは分かりません。
話を聞くだけでも分かりません。
それなら、自分の足で歩いてみよう。
そんな思いから始まった旅でした。
実際に北の大地に立ってみると、東京に暮らしているだけでは分からないことがたくさんありました。
海の色。
空の広さ。
一日の中でも驚くほど変わっていく天候。
強い風。
遠くに浮かぶ島影。
そして、雲の間から突然姿を現す利尻山。
晴れていたと思えば、あっという間に雲に覆われる。
穏やかだった海が、風ひとつで表情を変える。
そこでは、人間の都合など関係ありません。
自然は、ただ自然の時間で動いている。
その前に立つと、人間という存在がいかに小さいかを改めて感じます。
一方、この厳しい自然の中で、人々は長い間暮らしを営んできました。
礼文や利尻の観光シーズンは決して長くありません。
夏が終わり、秋が深まると、宿泊施設や観光施設の多くも季節営業を終え、
島は長い冬へ向かっていきます。観光客の姿が少なくなった後も、島民の暮らしは続きます。
雪、風、寒さ。
北国の厳しい自然と向き合いながら、知恵を使い、支え合いながら生活していく。
その姿を想像すると、私たちがほんの数日間見ただけの北海道と、そこで一年を暮らしている人々が見ている北海道は、まったく違うものなのだろうと思います。
しかし、この厳しい自然は、同時に多くの恵みも与えてくれます。
利尻昆布。
ウニ。
蟹。
帆立をはじめとする豊かな海産物。
厳しさと豊かさ。
これは相反するものではなく、同じ自然の二つの顔なのだと思います。
茶の世界でも、どこか似たところがあります。
良い茶は、人間の技術だけでは作ることができません。
土地があり、気候があり、雨があり、霧があり、風がある。
そして、その環境を理解しながら茶を育て、摘み、作る人がいる。
中国茶の世界では、昔から「天・地・人」という考え方を大切にしてきました。
天の時。
地の利。
人の和。
今回の北海道の旅では、その言葉を茶畑ではない場所で、改めて考えさせられました。
人間が自然を完全に支配することはできません。
自然にただ従うだけでもありません。
自然を知り、その中でどう生きるかを考える。
そこに、人間の知恵があるのでしょう。
礼文島の海を見ながら、利尻山を眺めながら、そして稚内の風に吹かれながら、私は何度も父のことを考えていました。
「父も、この景色を見たのだろうか。」
「この風を感じたのだろうか。」
「この山を見ながら、何を考えていたのだろう。」
もちろん、今となっては聞くことはできません。
けれど、自分自身が同じ土地を歩くことで、
少しだけ父が感じていたものに近づけたような気がしました。
父がこの北の地を好きだった理由も、以前より少し分かったように思います。
派手なものがあるわけではありません。
ただ、山があり、海があり、空があり、人々の暮らしがある。
余計なものが少ないからこそ、自分自身と向き合うことのできる場所なのかもしれません。
今回の旅は、観光だけの旅ではありませんでした。
家族と過ごした時間であり、父の記憶をたどる旅であり、
そして自然と人間の関係をもう一度考える旅でもありました。
人生も、お茶も、旅も同じです。
実際に味わってみなければ分からないことがあります。
本を読んで理解したと思っていても、現地に立つことで初めて分かることがあります。
これから少しずつ、礼文島、利尻島、稚内で出会った景色や人々、
そしてこの旅で考えたことを書いていきたいと思います。
父が歩いた北の大地を、今度は私自身の足で歩くことができた。
そのことに、心から感謝しています。
そして東京へ戻った今、一杯のお茶を飲みながら、
あの北の空と海を、静かに思い返しています。
(文章・写真: 五代目店主 林聖泰)

